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宮崎地方裁判所 昭和47年(わ)178号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二八〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

右猶予の期間中被告人を保護観察に付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は本藉地において漁師をしていた黒木袈裟市、同キヌエの一〇人兄弟の三男として生まれ、地元の尋常高等小学校を卒業後父袈裟市と共に漁師として働いたが、漁師の収入は乏しく、兄弟も多かつたので、生活は貧しく苦しいものであつた。

被告人は、その貧しさから逃れるために何度か上阪して職を求めては、そのたびに生活に破れて帰郷する生活を繰りかえし、その間昭和三九年一月四年間同棲した内縁の妻に死別、同四一年九月有村美奈子と結婚して同四二年二月に長男正夫、同四四年六月に二男和彦を各もうけたが、元来小心で内向的な性格も手伝つて、かねてより生活の苦しさ、さびしさをまぎらわすために酒に親しみ、酒に乱れては粗暴な行為に及んだため、昭和四七年五月一八日、妻からの申出で協議離婚し、長男正夫を引き取り宮崎市大字折生迫一九五二番地において、両親と同居して、有限会社浜砂砂利のダンプカーの運転手として稼働していた。ところが、昭和四七年春頃から袈裟市が耄碌して小便を失禁するまでになつたため、長い間の厳しい労働と貧しい生活の果て、今疲れて老いさらばえた同人を哀れにも思つていたところ、同年一〇月三一日午前一〇時頃から自宅において、友人が訪れたのを機に合計一升位の焼酎を飲み続け、暫く昼寝をした後、目を覚すと庭の木の幹に焼酎を注いだり、理由もなく長男正夫を庭に投げつけるなどの乱暴をしたことから母が長男を家から連れ出して家の中が急に静かになつたため、無性に淋しくなり、家を出て当てもなく付近を歩き回つたすえ、同日午後一一時頃自宅に帰つたところ、たまたま父袈裟市(当七四年)がポリエチレン製洗面器をガスレンジにかけて魚を煮た事を知り、父親がここまで耄碌したのかと思うと、同人に対し情なさや、いいようのない腹立たしさを感じ、同人に対し「爺さん何ということをすつとか」と怒鳴りつけたが、同人が「俺は何もせんと」と言い訳をして被告人から逃げようとしたためこれに憤激し、同人を戸外へ引きづり出そうとして自宅上り口の畳の上に座つていた同人の右腕部を右手で把んで約五四センチ下方の土間に引き落としたが、同人が被告人にしがみついて動こうとしなかつたため把んでいた同人の右腕を突き離して同人を右土間に押し倒し、更に同人の腰部、左腹部などを草履ばきのまま三回位強く踏みつけるなどの暴行を加え、同人の頭を土間や同所に置いてあつた電気冷蔵庫などに激しく打ち当て、よつて同人に頭頂部打撲傷、右頭頂部打撲傷、脳挫傷などの傷害を負わせ、同年一一月二一日午前四時頃、右自宅において、右傷害により惹起された脳軟化による心臓衰弱により死亡するに至らしめたものであるが、当時被告人は心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(刑法二〇五条二項の違憲性)

当裁判所は、刑法二〇五条二項は法の下の平等を保障する憲法一四条一項に違反して無効であるとかんがえるので、本件には同法二〇五条一項を適用すべきものとする。その理由は左のとおりである。すなわち、

一刑法二〇五条二項(以下二項規定と呼称する)は、自己又は配偶者の直系尊属に対して傷害致死を犯したときは無期又は三年以上の懲役に処す旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基き、同法同条一項(以下一項規定と呼称する)の規定する普通傷害致死の所為と同じ類型の行為にたいしてその刑を加重したいわゆる加重的身分犯の規定であつて、右のごとき規定をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたる。右のような差別的取扱いが、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、右規定は、憲法の右条項に違反するものといわざるを得ない。

二そこで、二項規定の立法目的について、憲法一四条一項の許容する合理性を有するか否かを検討する。二項規定の立法目的は、直系尊属を卑属またはその配偶者が傷害して死に致すことを、通常の傷害致死の場合に比し、一般に高度の社会的道義的非難に値するものとして厳重に処罰し、特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される。(尊属殺重罰規定である刑法二〇〇条の立法目的と発想の根本は同じである)それは、直系尊属は、直系尊属であるというだけで、これを特別な地位におき、常に無条件に尊重されるべきであるとしているに外ならない。これは一種の身分制道徳の見地に立つもので、尊属卑属間の権威服従関係、尊卑の身分的秩序、をきわめて重んじた戸主中心の旧家族制度的倫理観を背景に持ち、これに基づく家族間の倫理および社会的秩序の維持をはかることを目的とするものと考えられる。

このようなことは、身分制社会を肯認する価値観に立たないかぎり理解できないもので、旧家族制度を廃し、個人の尊厳を尊重することを基本とし、すべての個人にたいして人格価値の平等を保障する憲法一四条一項の精神に悖るものである。

三そもそも二項規定設置の思想的背景には、刑法二〇〇条設置のそれと同じく、中国古法制に淵源し、我国の律令制度や徳川幕府の法制にみられる尊属殺重罰の思想があるものと解されるほか、とくに同規定が配偶者の尊属にたいする罪をも包含している点からみると日本国憲法により廃止された「家」制度と深い関連を有するものと認めざるを得ない。また諸外国の立法例をみても、近代においては親殺し重罰の思想は次第にその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を初めから有しない国が少なくないのみならず、かつてこれを有した国においても、近時次第にこれを廃止しまたは緩和しつつあるのが現状である。これによつてみても、刑罰規定は、本来、時代の価値観を直截に投影するもので、特定の歴史的社会的状況の下に妥当した規定も、時の推移、世の変還、これに伴う国民の意識の変化と価値観の変質によりしだいにその中味が空洞化され、その合理的存在理由を主張し得なくなるという側面を宿命的に有するものであることが知られ二項規定は、家族制度を廃し、個人の尊厳、人格価値の平等を基本精神とする現憲法の下ではその合理的存在理由を喪失したものとかんがえざるを得ない。

四尤も直系尊属と卑属とは、通常、互いに自然的敬愛と親密の情によつて結ばれており、かつ、子が親を重んじ大切にすることは子の守るべき道徳であるが、しかし、それは、個人の尊厳と人格価値の平等の原則の上に立つて自覚された強いられない道徳であるべきである。それは、恩義にたいする報償的なものとしてかんがえるべきものではなく、人情の自然に基づくもので、当事者の自発的な遵守にまつべきものである。法律をもつて強制すべき性質のものではない、むしろ、法律をもつて、強制するに適しないものである。これを強制することは、尊属は尊属であるがゆえに殊に重んずべきものとし、法律をもつて合理的理由のない一種の身分的差別を設けることになり、すでに述べたとおり、憲法一四条一項の精神と相容れないものといわなければならない。

五以上のとおり、当裁判所は、刑法二〇五条二項の規定を設けることは、憲法一四条一項に違反する不合理的な差別的取扱いにあたるものと解する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するが、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二八〇日を右刑に算入することとし、なお被告人は素面の時は小心で両親に対しても相当な心遣いをしていたもので本件犯行は酔いの覚めやらぬ時に判示のような被害者の奇怪な行動を知り、これに対していいようのない気持から衝動的に感情発揚して犯したものであること、その暴行の程度、態様においても通常死亡という結果を生じさせる程の強力、悪質なものではないし、一方被害者は年令七〇歳を越えその心身の老衰が著しく、血管硬化症、心臓弁膜症等種々の持病もあり、本件についても血管硬化症等の持病が競合してその死亡原因を形成していること、被告人においても自己の罪を自覚し悔悛の情も顕著であること等諸般の事情を総合考慮して同法二五条一項一号を適用してこの裁判確定の日から四年間右の刑の執行を猶予し、同法二五条の二の一項前段を適用して右猶予の期間中被告人を保護観察に付することにし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(島信幸 福田晧一 渡辺安一)

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